名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)3239号 判決
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〔判決理由〕原告は、民法第七一五条、自賠法第三条により、被告が本件事故に基づく損害を賠償すべき義務があると主張する。
よつて按ずるに、<証拠略>を総合すれば、つぎの事実が認められる。
越後一雄は神戸市須磨区大手町に居住し、昭和三九年一月一六日から神出病院を経営していた。同病院は神戸市垂水区神出町にあり、越後一雄の所有で精神科と内科の診療をしていた。同病院の規模は昭和四二年一一月当時で、ベット数一二三床看護婦約二〇名、事務職員三―四名(事務長が欠員で吉井秀輔が事務長代理)、医師三名(院長越後一雄、副院長越後一雄及び大学からパート勤務の医師一名)であつた。同病院の経営、経理面は専ら院長の越後一雄が主宰し、副院長の越後一雄はその面にタッチせず診療面だけに当つていた。同病院にはその頃、バス一台、乗用車一台及び本件事故を起した寝台車(A車)の合計三台の自動車があり、A車は越後一雄が昭和四二年七月頃購入したものであつた。
神出病院の経営は従来順調に進んで来ていたが、越後一雄が事業の拡張を企て神戸市内の五位の池に大きな病院の建築を始めてから不振になつて来た。精神科の病院が建つというので地元の住民が反対運動を起し、木造工事も出来なくなつて工事が途中で中止され、開院の見通しが立たなくなつたためであつた。越後一雄は、五位の池の病院建設のほかにそれまでの神出病院の増築もしており、これ等の工事は野村友一が請負つていた。病院の経営が不振になり、野村友一に対する工事請負代金の支払もできないようになつて、越後一雄は昭和四二年九―一〇月頃、神出病院の従業員を集め、これからは某市会議員が病院の理事長に、野村友一が理事になつて貰うから、従業員は二人の指示に従うようにと言い渡し、以後は越後一雄のこの措置に従い、野村友一が神出病院の経営面の指示に当つていた。
他方、越後一雄は、谷本家喜、坂本耕三を仲介として、神出病院の土地、建物、その他の施設付属品(自動車を含む)一切を一括して被告に売渡すことを決意し、同年一一月二五日その旨の売買契約が成立し、代金七五〇万円(現金)の授受がなされた。この契約においては右契約成立の時を境として、それ以後の病院経営に必要な経費は被告が負担し、反面それ以後に入つて来る病院の収入はすべて被告の収入とするとの約定であつた。この売買契約に従い、被告は同月二七日、売買物件で登記、登録を要するものの名義変更手続を了した。
一方、病院経営面の指示に当つていた野村友一は、一一月末頃から、越後一雄が旅行中と言つておりながら一向に帰宅せず一週間以上経過しても行方が分らないので、同人を探さなければと考えた。同人は東京方面におるらしいということであつたので、同年一二月七日午後一一時頃、野村友一の指示に従い、副院長越後一雄の同意を得て、病院の事務長代理吉井秀輔が、同じく野村友一に頼まれた元病院の従業員小西勝男、同大工の棟梁久戸織一、同水道配管工福富定一と共に野村友一宅を出発し、本件A車を交互に運転して、東京方面に向つた。(但し、福富定一は神戸市内の喫茶店前から同乗。)東京の知人関係を廻つても越後一雄の所在は分らなかつた。愛知県の半田市に姉さんの関係があるというのでそこへ行くこととなり、その途中同年一二月九日午前二時五〇分頃安城市内で本件事故が発生した。その時運転していたのは福富定一であつた。
他方、被告は前示のとおり、神出病院の土地建物施設付属品の一切を買受け、経営を引継ぐことになつたので、その息子昌三(内科の医師)、谷本家喜と共に神出病院へ赴いた。その日時は必ずしも明確でないが、前記吉井秀輔等が東京方面へ行つた後であつたことは間違いなく、従つて本件自動車(A車)は神出病院にはなかつた。被告は同年一一月二五日越後一雄から受取つた「病院の経営を岡田繁治氏に引継いで貰う。」旨の書面を携行していた。副院長の越後一雄、経営の指示に当つていた野村友一にとつて、被告が病院の経営者になるということは初耳であつた。そのため、野村友一と被告との間で、「渡せ」「渡せぬ」というやりとりがあつたが、結局野村友一が沈黙し、被告は従業員の全部を集めて、この経営は自分が引き継ぐことになつたことを告げ、病院所在の各物件を点検して野村友一から引渡しを受けた。その当時本件自動車(A車)が同病院になかつたことは前示のとおりであるが、東京方面へ出かけるまでは、A車は同病院の車庫に保管され、病院の業務に使用され、そのキーは同病院の事務所で管理されていた。
被告の息子昌三は、昭和四二年一二月二五日兵庫県知事から神出病院開設の許可をうけ、同月二八日同病院の使用許可を得た。越後一は同年一二月分の給料は被告から貰い同月限りで同病院の勤務をやめた。
以上の事実が認められる。右認定の事実によれば、本件事故当時、本件自動車は被告の所有に属していたことは明らかであり、被告のために運行の用に供されていたものと認めるのが相当である。蓋し、一一月二五日の契約成立の時を境として、本件自動車の運行による利益は明らかに被告に帰属していたのであり、被告は当然本件自動車の運行を支配すべき立場に在つたからである。また、被告は右契約成立以降神出病院の経営者となつていたのであり、以後の神出病院は被告のために経営されていたものというべく、福富定一は、本件事故当時右経営業務の一つとして、その頃同病院の経営面の指示に当つていた野村友一に頼まれてA車を運転していたのであるから、被用者として同病院の業務の執行に当つていたものと認めるのが相当である。被告は自賠法第三条、民法第七一五条により本件事故に因る損害を賠償しなければならない。 (藤井俊彦)